はてブの人気エントリーにいろいろと思うところがあった。

30代、パートのおっさん、ナウ

 

ものすごく手短に説明すると、中2病のまま大人になってしまった高学歴、退廃主義者が自分の感覚に素直に行き過ぎてしまった結果、パートのおっさんになってしまったという独白記事だ。少し太宰治の人間失格を彷彿とさせる文体で、小説家にでもなればいいのではないかと思うが、そういった根気のいる作業は能力があるにもかかわらず、途中であれやこれやと思想に耽ったふりをし、一向に完成させはしないのだろうなと、予想してしまうようなエントリーであった。

 

この記事に対して私は、「こいつ中2ごじらしてるなと」安易に思いたくない気持ちにさせられた。ここにはいろいろと面白いエッセンスが散りばめられているからだ。

 

将来はどうしようと不安になることはあまりないです。 兄弟やいとこなどがちゃんと社会に出ているのを見ても、「そういう生き方って本当に普通にできるもんなんだなあ」と感心しますが、できなかった自分にたいしては何も思いません。

将来はどうしようと不安になることはあまりない、できなかった自分にたいしては何も思いません。

こんなことを言っているにもかかわらず、後半で

正直人生失敗したのかなと思いますが、どこで失敗したのかというと、産まれた時の性格、生来の感じ方がおかしかったように思います。もしかしたら時代が進んだらなんらかの病気が発見されるのかもしれません(精神科など数回行きましたが異常はなかったです)。明らかに感じ方や考え方がおかしいようです。

 

正直人生失敗したのかなと思いますが・・とはっきりと断言するのです。 

ここに私は、いくばくかのショックと、この筆者に対する失望の念を抱いてしまったのです。簡単に言うと私はこの筆者に裏切られました。

ここまで突き抜けた人生を送っているのに、結局は世間一般的な価値観を肯定し自分の人生は失敗だったと表現するのです。

しまいには締めくくりはこうです。

ほとんどの人は、「人と付き合わないとだめになる」というのが普通です。たぶん人間っていうのは体の構造上そうなっているんでしょう。重力がないと筋力が落ちるように、人と付き合わないとまともになれないのでしょう。ですから社会や学校とかが、「嫌でも人付き合いできる環境、お互いまあ納得できる環境」になっているわけです。お互いを信用してなくても金を使えば取引ができるように、社会とルールがあれば人は信用できなくても付き合いをできます。僕は、それすら無理だったのかなと思いますが、でも、人付き合いしなくても読書で十分だという感じになってそのあたりの悩みはほとんど消えました。話には聞くしそういうものもあるんだろうとは思いますが自分にはまったく感じられないです。

 

自分が世間に馴染めないことの結論を、もはや自分は人間ではないという前提であってほしいかのような、あり得ない奇想天外な前提に頼ることでしか、自分を肯定できないところまで追い込まれているのです。

その解決策が読書であり、もう悩みは消えましたという負け惜しみを言い放ち、この文章を締めくくるのです。

 

これ以外にも、この記事には面白いエピソードがたくさん詰まっている。

 

「今からでもなんとかなるのでは?」と2年前に東大模試を受けてみて、東大理1にA判定、東大理3はB判定という成績でしたが。ただもしを受けただけで、東大は受けませんでした。受けても何も変わらないとわかっているからです。そりゃ、親は金を出すかもしれません。数年モラトリアムよろしくぼんやりできるかもしれません。人生変わるかもしれません。ですが、変わるということに興味が無く、どうでもいい感じでした。そもそも、自分が生きていることに意味を付けるというのがどーも意味が分からないし、意味なんて無いとわかるからです。

 

自分の人生をどうにか改善しようと(今の状況がだめだとはっきりと認識している)東大を受けようとアクションを起こしている。

いろいろ親やカウンセラーや市役所やナントカホットラインなどに相談するのですが、特にみんなの考えを受けてもまるで人生を決めることはできませんでした。

 これも

もしかしたら時代が進んだらなんらかの病気が発見されるのかもしれません(精神科など数回行きましたが異常はなかったです)。

 

 これも(何かおかしいのではないかと精神科に行っている)

何か期待感を裏切られるというか、自分はすごく思想に溢れていて、世間とは相容れないのだと主張しているのに、結局とてつもなく世間一般的な価値観も持ち合わせているという違和感にグッときてしまうのだ。

 

 人生に焦りがあるかというと、正直無いです。将棋のプロって、奨励会に入った後に30歳だか25歳だかで退会処分になると聞きます。最貧国で生まれた人は日本人レベルの生活を手に入れるために一生を賭けます。堕胎される子は日本では年間40万(実際は120万くらい?)で、ってことはその子たちは生まれることすらかなわなかった。そういう人たちからすれば、まあ焦る必要は無いのかなあとかのんきに思います。いや現実を見れば同年代の30代はいよいよ人生の収穫時なりといったのがあるのでしょうが。

 

 人生に焦りがあるかというと正直ないです、の後に続く文章が、あからさまに焦りに満ちあふれていて、自分より下を見て安心するという、非常に世俗的で2ちゃんねらー的感覚を表出させているのだ。

 

このエントリーは秀逸である。普通でない人生を送った筆者が、結局は普通の価値観に苛まれ、自分が普通だということに、どこかで気づいていながら、必死に抵抗している1人の人間の生き様を見ることができる。

 

解せない点が一点

運が悪いなというのもありました(詳しくは書けないですが、100分の1の確率連続3回で引いたので、流石に問題だろう、去年は合格しているのに、こんな不合理なのはおかしいと訴えたのですが、『確かに君の言う通り想定外なんだけど、覆せない』ということだった)。

 

100分の1の確率で引っかかる留年の要件とはいったい何なのだろうとしばらく考え込んでしまった。

数学が得意な筆者が、まさか感覚値で100分の1という数字を出すわけがあるまい。